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岡山地方裁判所 昭和37年(ワ)277号 判決 1970年2月26日

原告

足原浅慧

代理人

豊田秀男

被告

赤城秀夫

赤城克己

両名代理人

岡崎耕三

主文

原告の各請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

第一、被告秀夫、克己が昭和三〇年一〇月二三日神代巡査部長派出所の警察官に対し、各々原告主張どおりの申告をし、その後も原告主張の刑事々件の捜査および公判手続の過程において取調べを受けたりした際、右申告を裏付け強調するような供述等を行つたことについては当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、被告らが意思を通じて前記の申告ないし供述等をしたことが認められる。

第二、そこで原告主張の本件不法行為成否の鍵となるべき、右の申告ないし供述等の内容が真実に合致していなかつたかどうか、換言すれば、原告が本件で問題となつている放火ならびに傷害事件の犯人でなかつたと言えるかどうかの点について判決する。

一、(一) <証拠>によれば、原告は捜査の当初から終始一貫して右傷害および放火事件の犯行を否認し、右事件当日夜のアリバイにつき、自分は午後八時頃まで近くの田で稲の収穫作業をし、さらに牛の世話等をも終えてから自宅の囲炉裏端に上り、家族と一緒に飲酒したり、食事をしたりしたが、そのうち酔いが回つて寝てしまつたのであり、当夜は外出さえしていない旨述べ、証人足原光子、足原達美、足原繁野も原告の当日夜のアリバイの存在を裏付ける各証言をしているが、いずれも後記認定二の事実に照らし、にわかに措信しがたく、

(二) 成立に争いのない甲第六一号証(放火および傷害事件についての破棄差戻後の刑事判決。以下、単に、無罪判決という。)記載の理由中には、いずれも<証拠>と同一ないし実質上殆んど変りのない証拠等によつて種々の事由をあげ、原告が犯人として刑責を負うべきいわれのない旨を説示しているが、これらについては後記二の(三)および(六)記載のとおりの疑問があり、いまだ原告が犯行を犯していないと認めるにつき、十分な資料とすることができず、

(三) その他に原告が犯人でないと認めるに足る証拠はない。

二、かえつて、当裁判所は、以下に述べる理由により、原告が本件傷害事件の犯人であり、ひいては本件放火事件の犯人でもあるとの濃厚な疑を有するものである。

(一)  <証拠>によれば、被告秀夫は原告が本件事件の犯人であると思つた旨述べ、その骨子として「自分は、当日夜、被告克己所有の本件炭焼小屋で作業を終えて帰宅途上の山道で二回目の休憩をした(同所を、以下、単に、第二休憩所という)際、右炭焼小屋が不審火で炎上しているのを発見し、これが消火にあたるべく所携のガスランプを照らしながらさい峠を経由して右炭焼小屋へ急行する途中、同峠を北から南へほぼ四〇米ほど下つた山道において、同所付近は通常夜間に通行人があろうとは思えないのに、前方約一〇米手前、つまり丁度右山道が北に向つてくの字型に曲つている折点の辺りに、南方から上つてくる人影を発見したが、なおも近ずき「こりや」と声をかけると、その人物は山道の西側へ避けたので見ると常日頃被告方に対し遺恨の念を抱いている原告であつたため同人が本件炭焼小屋に放火したものと直感し、「足原浅慧えらいことをしたな」と問責して通り過ぎたところ、突然後を追つた来た同人に棒で所携の前記ガスランプを叩き消され、さらに同人の追撃を避けようとして急ぐ余り暗がりの山道で二度転倒した間に、右の棒で背中や左手前膊手背を殴られ受傷したが、原告も殴りそこねて付近の叢に転倒したので、かろうじてその場を逃れ(被告秀夫が暴漢と遭遇し暴行を受けたという右山道を、以下、単に、暴行現場という。)、直ぐに、前記炭焼小屋に直行して、山火事にならぬよう防火作業をした後、門前部落へ下りて同部落の訴外小谷国雄方に急を告げ、同訴外人方から警察や湯舟部落へ犯人を手配してくれるようにとの電話を依頼したうえ、自らも新市部落にある巡査部長派出所に急行した」旨述べているが、<証拠>ならびに弁論の全趣旨に照らせば、これらの供述等の内容は、被告秀夫において本件事件当夜警察官に対して述べさらに翌日警察官の行つた実況見分に立会い指示説明したそれと同様で、以来終始一貫して右のとおりの骨子の供述内容を詳細かつ具体的に繰返えしているものであり、その全体の趣旨や同被告の人柄年令等からみても信憑力が高いと判断される。

(二)  被告秀夫が、前記暴行現場において、その供述どおりの状況で暴漢と遭遇し受傷した旨述べる前記供述部分は、

1<証拠>に弁論の全趣旨を総合すれば、(1)本件犯行の翌日、前述のとおり実況見分が行われた際、前記第二休憩所において負子に付けた炭三俵が、前記暴行現場において棒で叩いてへこましたような傷等がつき取手がゆるみ水滴調節ネジがないガスランプや、手拭、タバコケース、シャツが、それぞれ見つかつておること、(2)被告秀夫が暴漢と出会つたところだと述べる場所は、山道がくの字型に曲つた折点で、原告が南方から北に向けて右山道を上つて来た場合、原告の側から被告秀夫所携のガスランプの灯火を僅か一〇米ぐらい前方に近ずくまで気付かずに同被告と遭遇してしまうに必要な条件を微妙なところで満していること(後記認定二の(六)の1の事実参照。)また同被告が右暴漢を原告であると見抜いたところとして述べる地点も、検証の結果に照らし合せ、首肯できるところであること、(3)同被告は、本件犯行にあつた旨告げた際、その左手背部に打撲傷を負い、同部分を腫らしていたことなどの諸事実が認められ、これらの諸事実によつて補強されるし、

2また、いま仮にこれを全面的にデッチ上げの供述であり、同被告において右暴行現場で暴漢と出会つたこと自体がないか、あるいは暴漢と出会つた場所状況が同被告の前記供述と著しく異つていると仮定すると、以下に述べるとおり、疑問点が続出するため、この仮定を取りえないことが判るので、この面からもその信憑性が補強される。つまり、<証拠>に弁論の全趣旨を総合すれば、(1)湯舟部落から本件炭焼小屋に登り、すぐ門前部落に下りたとしても、その間約一時間半近くかかること、本件炭焼小屋は湯舟部落から遠く離れた山中にあり被告秀夫が右炭焼小屋に登つておれば右の間、もし炭焼小屋で作業をしておればさらにそれだけ長時間、原告の動静、アリバイの存在等を知ることができないこと、同被告が湯舟部落から直接門前部落所在の前記小谷国雄方に赴いていたとしても、その間には片道二粁余の隔りがあり、その間被告秀夫にとつて右同様原告の動静を把握することは不可能であること、(2)被告秀夫は当日夜九時過ぎランニングシャツ一枚で汗びつしよりになり、息せき切つて前記小谷国雄方へ駆け込み、警察や湯舟部落へ架電し、犯人が湯舟谷に下りて来るから手配してくれるよう頼んで欲しいと述べ、直ぐそのままの姿で小谷方から借りた自転車に乗つて新市部落にある巡査部長派出所へ急行し、犯人捜索に行つてくれと催促して石原巡査部長らを湯舟谷に先導し、同所で被告克己から怪しい人影がすでに原告方に入つたことを聞くや、同巡査部長らに対し、原告が犯人であることは同人と隣どおしでいつも顔を合せているから絶対に間違いないと述べ事情を説明した後、原告方に案内し逮捕に向わせたが、さらに同原告方において、原告から犯行を全面的に否認されて不安を抱いた同巡査部長が、人違いでないかと問いかけたのに対し、被告秀夫はすかさず、原告も叢の中に突込んでいるので体のどこかに怪俄をしている筈だから調べてくれと確信をもつて答え、同原告の身体を見させていること、(3)暴行現場に落ちていた前記ガスランプは、被告秀夫が右手でこれをさげているところを同被告の背後から棒で叩いた場合にも付けうるような前述の傷跡があり、また同被告が握つていたという右ガスランプの取手が原告に棒で叩かれたという右ガスランプの本体部分からはずれかけており、さらにその水滴調節ネジが紛失していること、同被告は本件火事場に急ぐため水滴調節ネジをゆるめ炎を最大にしていた旨述べているが、そうした場合右ネジは打撲等のショックではずれやすくなること等の諸事実を認めることができるところ、前記の仮定に立つて、1右認定(1)の事実を見れば、被告秀夫は相当長時間にわたり原告の動静を把握していなかつた、つまり、その間において原告に明確なアリバイが存在していても判らなかつたのに、同被告は万一失敗すれば原告を犯人に仕立てようとした責任と汚名を一身に背負わなければならないような危険な虚偽の申し立てを敢えてしたことになるし、(2)右認定(2)の事実を見れば、同被告は右認定事実のような大胆極まる熱演付の虚偽の申し立てをしたことになるし、(3)右認定(3)の事実および前記認定二の(二)の1の(1)ないし(3)の諸事実を見れば、同被告は実に用意周到かつ細心な下準備をしたうえで虚偽の申し立てをしたことになるが、<証拠>および弁論の全趣旨に照らせば、山間育ちの二二才の青年であつた当時の被告秀夫がこのような綿密かつ周到な計画のもとに作為を弄しうるとは考え難いのみならず、さらに被告秀夫にとつてそこまで無理をして原告を犯人に仕立てなければならない理由がなく、同被告の父である被告克己と原告とが対立していたとはいえ、当時被告らの方が部落において受けが良く、むしろ原告が孤立していたでのあるから、この面からもその必要性がなかつたと認められるからである。

(三)  被告秀夫が暴漢と遭遇した際、暴漢が原告であると見た旨述べる前記供述部分も、以下に述べるとおり、他の証拠によつて補強される。すなわち、すでに述べたとおり、被告秀夫が暴漢とその供述どおりの現場状況で出合つたとすると、この事実に<証拠>に弁論の全趣旨を総合すれば、

1被告秀夫が暴漢と出くわした際、(1)同被告は、夜中の八時半頃人里遠く離れた山中の狭い一本道で突然予想外の、照明具さえ携帯していない、そして本件不審火に当然何らかのかかわり合いを持ち、ひよつとするとその放火犯人で罪証を湮滅するなどのために自分に危害を加えてくるかも知れないと予測される人物に出くわし行き違つたのであるから、その人相挙動等には十分注意を注いでおる筈で慢然と見逃すわけがなく、(2)両者が一番接近した距離につき、無罪判決が指摘するように、なるほど被告秀夫は微妙に供述等を変えているが(後記認定二の(六)の2の事実参照)その最大限をもつてしても四米余であり、この程度に離れている人物なら本件ガスランプの灯火によつて照射した場合、それが誰であるかは間違いなく判断しうるし、とりわけ原告とは僅か一六軒しかない同一部落内の住人どおしで、しかも県道を狭んで上下隣の関係にあり、平素始終顔を合わせている間柄で、そのうえ原告の体格頭の型等には少なからず特色があるから人違いをする可能性は絶無と言つてよいこと、2さらに同被告は暴漢と行き違つてから後、前記のとおり暴漢に背後から棒で殴られたのであればその際これをのがれようとした筈であり、そのときガスランプの灯火が消されていても当日が朧月夜(旧暦九月八日)であつた点からみてすぐ近くにいる暴漢が原告であるかどうかを再確認するぐらいのチャンスはあつた筈で、そうだとすれば、原、被告間の前記特殊関係等からしてその再確認は必ずしも至難の技と言うべきものでなく、3また被告秀夫において前記小谷国雄に対し、前記のとおり架電を依頼した際「放火犯人が湯舟谷に下りて来るから警察や湯舟部落に手配を頼んでくれ。」と述べておること、これは同被告において、犯人が前記暴行現場から干子部落や笹尾部落に帰る可能性もあるのに敢えてその可能性を否定して述べたもので、犯人を湯舟部落の者であると判断していたことを示すものであること、そうだとすると、被告秀夫自身は、同部落が前記のとおり僅か一六軒しかない山間の小部落でその住民の顔や姿を知り尽くしているから、当然同部落民の誰か特定の者を犯人と見ていたものと考えられること、ところで、当時同部落民中にかかる犯行に出る動機がある者は、原告方を除いて他に考えることができない(前記認定二の(二)の2の事実参照)から、被告秀夫の意中の犯人は原告であつたこと(なお被告秀夫は前記巡査部長派出所にかけつけた際犯人が誰かの点について言及していないが、これは前記小谷方からの架電によつてすでに自分の言いたいことが十分伝えられていると信じたから、本件犯行について殆んど何も申し立てをしなかつたと見る方が自然である。)、などの諸事情が認められるからである。無罪判決の理由中において、「被告秀夫が、門前部落の前記小谷国雄方に至り炭焼小屋に放火されたことを前記のとおり架電してくれるよう依頼したとき、その犯人として原告を指名していたことは疑わしいこと、同被告が巡査部長派出所に立ち寄つた際も警察官に本件犯行について殆んど説明をしていないこと等の諸事実からみて、被告秀夫は暴行現場においては遭遇した暴漢が原告であるとまでの確信を持つていなかつたのではないか」とし暴漢と原告を結びつけることに疑問を投げかけている部分は、右認定3の事実に照らしそのまま首肯しにくいところである。

(四) 被告秀夫は前記のとおり暴漢と出会つた際それが原告であると見た旨述べており、この供述自体は前記のとおり措信しうるとしても、さらに同被告が暴漢を原告に違いないと見たその認識自体に見間違いの可能性がないだろうかとの疑問が残る。しかし、この疑問も杞憂に過ぎない。けだし1前記認定二の(三)の1および2の事実のとおり、被告秀夫は暴漢の挙動を十分注視しておる筈であるし、そしてまたそれが誰であるかを十分識別しえた筈で人違いなどするわけがなく、2仮に人違いであり暴漢が原告以外の第三者であつたと仮定すると、前記二の(一)記載の被告秀夫の供述に照らし、なぜに多忙な農繁期の夜中に、人里遠く離れた山中深く、ガスランプ等の照明具さえ持たずに入つたのだろうか、本件炭焼小屋に放火するためであるとすればなぜにそのようなことをしなければならなかつたのか、また原告以外の第三者が「足原浅慧えらいことをしたな。」と言われたとき、自らに疑がかかつていないことをさいわいに、そのまま逃げようとしないでどうして同被告を追いかけ暴行まで加える必要があつたのだろうか等の事情が疑問となつてくるが、本件全証拠によつてもこれを説明する事由が認められず、したがつてこの仮定を取りえないため、結局前記の可能性なしと判断できるからである。

(五)  原告の周辺にも同人が犯人であると疑うに足りる次のような間接事実がある。

1(1) <証拠>によれば、原告は事件当日の夜石原巡査部長らが被告らの案内で原告宅に来た時、奥の納戸に敷いた布団に入り寝巻を帯で結ばずに着て横になつていたが、その手足には手首や足首から先に黒い土が相当多量に附着しており、顔なども土で汚れておつたことが認められるところ、このような状態はいかに農繁期の農家とはいえ、その日はもうこれ以上仕事を続けるような時間ではないのだから不自然の誹を免れず、また前掲各証拠に弁論の全趣旨を総合すれば、当日夜原告は飲酒したが泥足のまま布団に入つてしまうほど酩酊してはいなかつたと認められる。

(2) 加えて<証拠>に弁論の全趣旨を総合すれば、原告は当日夜前述のごとく稲の収穫作業を終えた後、牛の厩で糠を混ぜたり、牛の子に乳を飲ませたりして汚れた手足のまま囲炉裏端に上り、その手でガラスコップ二杯の冷酒を飲み、アミの塩漬けに大根おろしを混ぜたお菜で炊きたての御飯二、三杯を食べたと述べていることが認められるが、泥の附着した、そして牛小屋の臭気を残したままであろう手でこのような食事を摂るほど原告方が不衛生なことをしていたのであろうか、疑問なしとしない。

2<証拠>によれば、当日夜原告宅および巡査部長派出所等において警察官が原告の体を調べた際、胸の辺に数本の細い木か針金の先で引つかいてできたような傷があり、そこに点々と血が滲んでいたこと、原告はこの傷につき蚤に食われてかいたためできたものと弁解していたことが認められるが、同人を診断した医師訴外佐藤義信も述べているとおりその弁解が強弁であることは傷の巾長さ等からみて明らかであり、前記二の(二)の2の(2)で認定したごとく、被告秀夫が原告方で警察官の質問に対し、原告も暴行現場で叢に突込んでいるので体を怪俄している筈だから調べてみてくれと述べているのと比べ、余りにも対象的である。

3<証拠>によれば、当日夜石原巡査部長が原告宅の入口板の間の上り口において、そこに置いてあつた原告が当日着用していたというズボンの裾を持ち上げた際、小箱マッチ(軸木三〇本在中)がこぼれ落ち、これを右ズボンと一緒に領置したことを認定しうる。<証拠判断省略>

4<証拠>によれば、当日夜、石原巡査部長が原告を巡査部長派出所において取調べた際、原告と被告秀夫とを対質させたが、同巡査部長はその際日頃弁の立つ原告に分がなく、被告秀夫の言い分の方が迫力において勝つていると感じていたことが認められる。

5<証拠>によれば、原告は当時、その協調性に乏しい気性のため、ともすれば部落民との交際に円滑を欠き、とりわけ被告克己と仲が悪く以前取組み合いの喧嘩をしたこともあつたが、昭和三〇年九月頃その言動に立腹した部落民によつて町役場、農協などの連絡文書を回覧しないといういやがらせをやられ、この措置につき被告克己が主導的役割を果していることを知り、同被告方に赴き数回口論したり、同年一〇月一二日頃同部落の訴外宝蔵槌美方においていつかは同被告をやつてやると述べ、遺恨の念を抱いていたことが認められる。

(六)  最後に原告が本件事件を犯したと認定するにつき障害となりそうな点を、主として前記無罪判決の理由中に示された事由を中心として検討する。

1原告(それ以外の第三者でも同様)が、本件炭焼小屋に放火したのであれば、その帰途暴行現場において被告秀夫と行き違う以前に、同人所携のガスランプの灯火を発見できたのであるから、なぜもつと早く逃げるなり附近の山中に隠れるなりして同被告に見つからぬようしなかつたのだろうかとの疑問について。<証拠>に弁論の全趣旨を総合すれば、現場の地形は概略別紙見取図記載のとおりであり、南方から北方に向つて来た原告にとつて、同見取図のム点を中心に山道がくの字型に右折ししかも同ムABC点間の山道がかなりの上り坂(約一〇ないし一二度)で前方山道と高低差があり加えて右山道の東側には熊笹や灌木が生い茂つているため、同C点以南から右ム点以北の山道にいた被告秀夫所携のガスランプの灯火を直視することは物理的に不能であること、もつとも原告において、同EDC点間の山道に来たとき、同所に立ち止つて前方を見上げれば、右ガスランプの直射光が西側の山間を射るのを発見できるが、同所附近の右山道も上り坂で前方を見上げながら歩むという姿勢は通常とりにくく、そのうえ事件当日は薄曇りとはいえ旧暦九月八日の月明りがあり、ランプの直射光との区別が一目見ただけではつきにくく、おそらく被告秀夫と出会うだろうとは予測せず慢然帰りを急いでいたであろう(もしそうでなければ、原告が被告秀夫と出会うおそれのあるさい峠に向つて引返すことは不自然である。)原告において、この光を発見できなかつたとしても無理からぬこと、原告は同C点に達してようやく木の間越しにちらちらする右ガスランプの光玉を見ることが可能になつたが、右ムABC点間の山道は前記のとおり相当急な上り坂でここを急ぐ場合前屈みになり易く、足元を照らすライトを持つていなければなおさらそうで、そのため僅かな距離の右区間中斜め右前上方のガスランプの前記灯火に気付かずそのまま右の坂を上りきり右折して前方山道と真直ぐ向い合つた前記ム点に来て、初めて真正面に灯火を発見したとしても、これまた必ずしも不自然ではないこと、仮にム点に登り切る直前で灯火を発見したとしても、その附近の山道の左右は斜面になつており身を隠くすことができないことなどの諸事情が認定でき、これらの諸事情によれば、前記の疑問は必ずしも当を得ていないことがわかる。

2被告秀夫において、原告が暴行現場で自分を避けたと述べる地点につき、次第に同被告の主張に有利なようにその供述内容を変えて来ている旨、指摘されているが、<証拠>によれば、被告秀夫は前記のとおり別紙見取図ム点に来た原告を、一〇米程手前で発見し、なおも近ずくと原告が西側の熊笹の中に避けた位置について、右供述等の間には一ないし二米ほどの遠近差があることが認められる。しかし右各証拠によれば、夜中の九時近く出火現場に通ずる山道を急いでいた被告秀夫において、突然前記のとおり予測外の原告に出会い、その際原告がこれという程の目標もない熊笹の茂みに避けたものと認められるから、同被告に対しその位置を正確に指摘せよと要求すること自体いささか無理のきらいがあり、同被告の各供述等の内容に多少の変化があるからといつてこの証言の価値を否定し去ることはできないと思われる。

3原告が本件炭焼小屋から前記暴行現場に来るまでの所要時間より被告秀夫が第二休憩所から右現場に引返して来るまでのそれの方が長くかかる点からみて、少くとも原告は、同被告が右休憩所で本件炭焼小屋の出火を発見し取つて返した際には未だ火事の現場に滞留していたことになるが、もし原告が右炭焼小屋に放火したものとするとそんなに悠長に放火現場にとどまつているものであろうか、通常の放火犯人の心理や行動に照らし疑問なしとせず、ひいては原告が本件両事件の犯人であると断ずることに疑問を感ずるとの指摘について。

<証拠>に弁論の全趣旨を総合すれば、原告は、前記無罪判決も指摘するとおり、門前部落から本件山中に入る山道を通つたとしか考えられぬこと、そして右山道を上り、被告秀夫がさい峠を通過して湯舟部落の方へ通じる山道を帰つていつて間なしに、前記のとおりそうとは知らず同峠を経て(門前部落から本件炭焼小屋に行くには、途中から他の山道に入りたどり着くこともできるが、そのコースはあまり使用されていない狭い山道で、しかも右焼炭小屋への途中までしか通じていないので、ガスランプ等を持つていない原告が敢えてこれを分け入つたと見るには無理がある)逆に本件炭焼小屋に着いたとみるのが自然であること、そうだとすると(1)原告がさい峠から炭焼小屋に(その間の距離は約四六〇米)着くまでには、普通に歩くと七分以上かかること、他方被告秀夫が右炭焼小屋からさい峠を経て第二休憩所に(さい峠から第二休憩所までの距離は約五三〇米)着き火事を発見するまでには約二〇分ほどしかたつていないこと、したがつて同被告は原告が放火していくばくもなく火の手を発見したともみられること、(2)そして同被告が直ぐ火事場めがけて早足で引返し暴行現場まで約五七〇米ほど来たときに、炭焼小屋から約四一〇米ほど隔てた同現場に原告ものぼつて来て遭遇したことの諸事情が認められ、これらの事情によれば原告が放火現場にとどまつていた時間は比較的短かかつたと考えるのが自然である。そうだとすれば、この程度の滞留時間は、前記のとおり、被告秀夫が近くにいてしかも放火後間なしに火の手を発見して戻つて来るとは恐らく予測せずしたがつてその場から早急に身を隠くす必要を感じていなかつたであろう原告にとつて、必ずしも不自然なものと決めつけられることではない。

4原告が湯舟部落の自宅にもどり着くにつき、他の道もあるのに、なぜ被告ら宅の横を通じる小道をとおり、しかもその下の県道上で被告克己がガスランプをつけてはで仕事をしているのを予測できながら右県道を横切る右小道をとおつたのかとの疑問について。

<証拠>に弁論の全趣旨を総合すれば、暴行現場から原告宅へ帰るには湯舟部落に入つてから二通りの小道があるが、原告の通つた道の方がいく分近道で途中の人家も少く人目に触れにくく、原告も常日頃この道の方を使用していたことが認められ、右各証拠に弁論の全趣旨を総合すれば、暴行現場から湯舟部落へ帰る道の方が被告秀夫が帰つたであろう門前部落に出る道より相当遠くかつ時間もかかりそのため原告としては一刻も早く帰宅しアリバイを作る必要があつたことや、本件事件のため少なからず興奮し冷静さを欠いていたであろうことなどの諸事情が推認でき、これらの諸事情を総合すると、原告が前記の小道を選んだとしても必ずしも不自然とは言えない。

(七)  以上の次第で、当裁判所は原告が傷害事件、ひいては放火事件の犯人であるとの濃厚な疑を否定できないものである。

第三、してみれば被告らのした前記申告ないし供述の内容が真実に合致していないと認めることができないから、その余の点の判断をまつまでもなく、原告の請求は失当と言うほのかなく、これを棄却すべきものである。

よつて、民訴法八九条を適用し、主文のとおり判決する。(裾分一立 東条敬 笠井達也)

別紙《省略》

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